石巻へ

一日中、ひたすら移動していたような気がする。

東京から新幹線で100分、仙台駅からバスでさらに1時間、高速を降り湾岸が近づくと、
両側にはぽつりぽつりと家が点在する工業地帯へと入る。一見するとそこは、誤解を恐
れずに言えばこれから開拓が進む新興住宅地のようで、しかし、よく目を凝らせば一階
の窓にガラスはなく、壁はひび割れ、穴があき、家自体が大きく歪んでいる。「人は住
んでいません」と、案内いただいた日本製紙の齋さんの声が車内に小さく響く。

日本製紙株式会社、石巻工場。

入口には花壇と神社、そして慰霊碑があった。
震災の爪痕は言われなければわからない。冊子「震災の記録」におさめられた現実がそ
こにはたしかにあったのだと、想像することしかできない自分とは対照的に、瓦礫をど
かし、ペンキを塗り、再開へと辿り着いた社員の方々の尽力は計り知れない。
しばし解説をいただき、抄紙機N6マシンへ。紙、と言われて想像するイメージをはるか
に凌駕する、まさに要塞といった外観。初めて輪転機を見た時も驚いたが、その時とは
また違ったギャップを感じた。幅9メートル超の紙が、いくつもの巨大なローラーによっ
て引かれながら、押され、乾かされ、塗られ、100メートル以上の工程を経て、紙はで
きあがる。普段A4、B4、大きくてもB全を扱う日常とかけ離れすぎていて、同じモノで
あることは想像しにくい。


敷地を出て、隣接する女川市へとバスで向かった。
往復で約1時間ほど。海沿いには震災による瓦礫と車が高々と積み上げられていた。横倒し
のままのビルがあり、迎えにきた父兄の車の炎上で黒く焦げた学校があった。
「ここまで津波がきました」と石森さんの言う先には、被災の境界線がはっきりと見てと
れた。テレビで見るのとはまるで違う、何とも言葉にできない生々しさがそこにはあった。

お礼を告げて、帰路へ。

長時間の移動と現実の衝撃とで、これを書いている今になって感情が追いついてきた感じが
する。改めて、自分のできることはあまりに小さい。紙を無駄にすることなく使うこと、そ
して美しい印刷物として送り出すこと。

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